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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

病気のデパートその2

急性緑内障で動顛するの巻(前篇)

 それは、母の入所している施設の外の景色が霞んでいるなと思ったときから始まった。


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 嫌な予感がしたのである。

 広島に帰省する前夜、就寝前の読書の最中である。左眼に違和感を覚えたのだ。簡単に云うと、眼がゴロゴロするのである。

 実は、おいらの左眼は人工水晶体(人工レンズ)だ。50代前半にやや特殊な眼の病気になったので、眼球にメスを入れている。そのときから人工水晶体にしているのだが、そのレンズが剥がれ落ちそうになったので、今度はそのレンズを眼に縫い付けているのである。

 その人工レンズが瞳孔の開閉に伴って「よれる」ことがあり、注意した方が良いとかかりつけの医者からは指摘されていたのである。

 しかし、そうは云っても人工レンズと瞳孔の話しなので、これだけはおいらにも注意のしようがない。

 このときもそのまま就寝し、問題はなかったのだが、この「よれる」現象が起きていた可能性が高い。

 翌朝、横浜を出て広島に帰る新幹線の車中では問題はなかったのである。

 昼前に施設に到着し、母の変わりない姿を見て安心していたら、そのゴロゴロが再び襲ってきたのである。

 だが、このような違和感は日常の出来事である。特に今回始まったことではない、と思っていたのだが、ゴロゴロが止まらない。困ったなぁと思っていた矢先である。

 冒頭述べたように外の景色が霞むようになったのである。

 それは、あたかも水中で景色を観るような塩梅である。完全に「もやって」いるのである。

 こういうときにすることは一つ。

 右眼を手で隠し、左眼だけで見るのである。そうすると、右眼で見ている景色を脳が補正しなくなる。つまり、本当の左眼の画像が分かる。

 じぇ、じぇ~!

 左眼がほとんど見えない~!(この項続く)


急性緑内障で動顛するの巻(後篇)

 左眼が見えなくなったのである。これには動顛した。


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 しかも、左眼がズキズキする。これは、どう考えてもやばい。狼狽しながらも、直ちに眼科に行くべきであると判断する。

 幸い金曜日の午後だ。眼科は営業をしている。ネットで施設のそばの眼科を探した。

 タクシーを呼んで直行したが、目指す眼科が見つからない。それもそのはず、数年前に廃業していたのだ。院長先生が高齢で商売を辞めたらしい。ネットの記述も当てにならない。

 近くに眼科がないかと運転手に尋ねると、良い眼科があると紹介してくれたので直行した。

 大きな眼科であった。思い出した。母が白内障の手術をしたのはこの医院だったのだろう。待合室に入ると30人ぐらいがびっしりと埋まり(ほとんどが高齢者、トホホ)、皆が診察を待っている。

 事情を話して待っていると、検査が始まる。

 裸眼の視力はほとんどない(矯正視力でも0.2)。眼圧は50である。異常に高い(20を超えるとやばい)。

 しかも、左眼の瞳孔は猫の目のように縦に細長くなっている(普通は丸い)。

 じぇ、じぇ~!

 すぐに診察室に通され、先生は「すぐ点滴をします。瞳孔も開きましょう」と点眼薬を投与する。

 おいらは処置室に移動させられた。看護師さんから「この点滴は利尿作用がありますので、トイレに行っておいてください」と云われる。

 素直に従い、点滴が開始。これを解説すると、人工レンズが瞳孔にひっかかっている(ような)ので、硝子体(しょうしたい。眼球の内部のこと)の中を流れている水が人工レンズによってふさがり、眼圧が上がったのだそうだ。

 このため、水流を戻し、併せて眼圧を下げるために点滴をするらしい。

 おいらは、約1時間点滴を受け、同時に瞳孔を開く点眼薬(ミドリン)を5分おきに3回点眼してもらったのである。

 すると、あ~ら不思議、左眼は徐々に視力を取り戻し、眼圧も13まで下降した。1時間半後には完全に回復に至ったのである。

 いやぁ、命が縮まる思いであった。

 このとき考えたことは、左眼がダメになっても右眼がある。そう、独眼竜だとかなんとかを思ったのだが、それどころではない。やはり、眼は大切であるということである。

 結論。世の中、何があるか分からない(この項終わり)。



腰痛の再発

 おいらは、もともとぎっくり腰という腰痛を抱えている。


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 40代のことであった。段差のある道を歩行して、突然ぎっくり腰になったのである。段差は天敵である。

 このときは3日間会社を休んで静養した。だって、歩けないんだよん。トイレに行くのも這って行く始末であった。

 さて、その腰痛も、だましだましでこの年まで過ごしてきたが、先日のことである。

 弟と浜スタに行き、カープ・ベイスターズ戦を観戦したのである。6月29日の日曜日のことであった。

 試合開始は、午後1時からであった。

 おいらは12時から内野指定席に座り、試合前の練習から観ていたのである。幸いカープは完勝し、試合終了の午後5時まで座っていたが問題はない。

 ただし、このとき気にかかったことは椅子が固くて、しかも、小さい椅子だなぁと感じたことであった。身動きがあまりできなかったのである。

 さて、翌日は何事もなく、翌々日の朝のことである。

 おいらは唸った。腰痛が再発したのである。

 直ぐに野球場の椅子が原因だと気付いた。エコノミー症候群である。5時間に渡り、ずっと同じ格好で座り続けていたのが悪かったのだ。

 その日は出社を取りやめ1日中休んでいたのだが、傷みが取れるまで3日もかかってしまった。

 このとき思ったこと。

 おいおい、昔ならこれ位の時間、連続して座っていても平気だったよ。ということは、これも老人力が付いたことの現れだろうか。

 おいらは今年の10月で満64歳になる。来年からはいよいよ前期高齢者の仲間入りだ。こうして少しずつ老人力が付くことが分かると、おいらの好きな海外にも今のうちに行っておかなければ無理になるということである。

 パリへの搭乗時間は約13時間。

 思い立ったが吉日。藤田嗣治の住んでいたアトリエを訪ねるため、おいらは今のうちにパリへ行こうと決めたのである。10月後半にパリ探訪を考えている。

 だけど、こういうことでもなければ海外へは行けない年齢になったのかなぁ。まいっちゃうなぁ。老人力も困ったもんだなぁ。



今年の健康診断結果(前篇)

 今年2015年も正月明けに健康診断を受けた。


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 おいらが正月早々健康診断を受けるのは、例年のことである。

 年末年始に暴飲暴食が続くので、体が一番悲惨なときに健康診断を受けるというのはまともな発想である。おいらはこの風習を続けて約10年になる。

 しかし、これには裏があり、おいらは正月の元旦を持ってその日から禁酒を断行するのである。肝臓を初めとする内臓を保護するためである。

 だって、忘年会の回数と飲み方は異常だよ。おいらの先輩や仲間は揃って大酒飲みである。おいらもこのブログで書いているとおり、酒は嫌いな方ではない。だから、友遠方より来る、斗酒なお辞さず、となる。

 さて、この恒例の禁酒についてだが、当初は禁酒が結構厳しかったのである(このブログの当該記事参照)。しかし、おいらが下血してからは酒との付き合いに一定の距離を置くことができるようになり、今では嘘のようだが無理なく年間最低100日の禁酒日を設けるようになった。

 この習慣は今でも続いており、昨年は年間で120日の禁酒日としている。

 この禁酒の秘訣を披露すると意外に簡単で、その日は「飲まない。酒は毒である」と思うことである。何のこっちゃ。だが、これは事実である。

 そして、今年の検査日は1月10日(土)とした。

 本来は17日ごろの検査を考えていたのだが、11日(日)に吉田類さんの句会に出席し、会合の後、新年会が予定されていたからである。

 類さんと吞むときはエンドレスとなり、大酒になるのである。このように健康診断の日程選びは不純である(この項続く)。


今年の健康診断結果(後篇)

 さて、検査当日である。


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 前日の夕方から絶食とし、寝るまではお茶と水だけとなる。当日の朝は飲まず食わずで、午前9時においらの行きつけの病院に到着した。

 行きつけの病院はおいらの主治医のいる病院で気心が知れている。先生自らがバリウムでの検査をしてくれるのである。

 この病院でよいことはレントゲンで食道と胃を見ながら、ライブで先生自身から検査結果を直接教えてもらえることである。これがいい。例えば、バリウムを飲み始めるとその瞬間に「きれいな食道ですねぇ」と教えてもらえるのである。

 本当は胃カメラにすれば良いのだろうが、おいらはこれが大嫌いなのだ。これまでの人生でやむなく3回胃カメラを飲んでいるが、あれは人間の尊厳を無視するものである。だから、おいらは断然バリウム派である。

 そのバリウム検査で先生からじかに説明してもらえるのだから、この先生でなければならないのである。

 さて、当日は特定健診とバリウムによる胃がんの検査のほか、大腸がん、肺がん、PSAの検査もあわせて受検した。

 その結果である。嬉しいことに問題なしであった。血圧に始まり、コレステロールや肝臓の数値など全て正常値の範囲内。

 めでたし、めでたし。

 こうしておいらは今年もまた健康に心配しないで好きなことができる。一安心である。

 だが、今年からのおいらは一念発起して一日1時間のウオーキングを課しているのである。

 これまでほぼこの日課を守っているので、数か月後に体がどうなっているかをみるのが愉しみじゃのぅ(この項終わり)。


親知らずを抜きに大学病院に行く(前篇)

 来月、親知らず(智歯)を抜く羽目になってしまった。


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 歳を取ると何でもありである。

 眼はかすむわ、耳は遠くなるわ、歯は弱くなるわで、昔の人は偉かった。「歯、目、××」とは、よくぞ云ったものである。

 が、自意識としては依然若い。確かに老人力はついているが、まだ、それが余裕として感じられる。

 おいらは、今でもおいらより年上の先輩に「体が衰えたのは何歳くらいからでしたか」と聞くことがある。

 その結果は、一様に口を揃えて65歳である(ただし、衰えたのは何歳くらいからと質問しているので、衰えの兆候の年齢である)。なるほど厚生労働省が前期高齢者を65歳と定めたのはダテではないと感心している。

 おいらも今年後半からいよいよその年齢に突入するので、初老の仲間入りである。

 初老というのは響きがいいよねぇ。憧れのヒヒ爺になることができるのである。ビバ、初老!!

 さて、初老のおいらにとっての毎日は老人力がついて何事も新鮮である。そうして、歯の衰えに気付くのである。これも新鮮である。

 思えば、若いときは不摂生で歯はほったらかしにしていたのである。だが、中年を過ぎて歯を大切にすることを覚え、虫歯ができると即座に歯科医に通い、歯石の除去も欠かさなかったのである。お蔭で入歯とはならず、自前の歯で食事を愉しんでいる。

 ところが、親知らず(おいらの場合、一本だけ残っていた)だけは別格である。

 この年になって、その親知らずが虫歯となったのである。この親知らず、なかなかのものである。おいらの奥歯に向かって生えている(レントゲンで見るとほぼ横に生えている)ので、普通の方法では抜くことができないという、優れものである。

 親知らずをバカにしてはいけない。学術名は「下顎埋伏智歯」と呼ぶのである。

 下顎埋伏智歯、だよ。恐れ多くも、下あごの中に埋没している歯のことだよ。おいおい、居直ってどうする。

 これが初老にして、親知らずを抜きに大学病院に行く羽目になった顛末である。おいらはかかりつけの歯科医から紹介状をもらって、某大学附属病院の門をたたくことになったのである(この項続く)。



親知らずを抜きに大学病院に行く(後篇)

 紹介状をもらったので、まずは大学病院に予約を取るための電話である。


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 そうしたら、紹介状だけでは受け付けてくれないと云う。

「診療情報提供書」を紹介元の歯医者からFAXしてくれというのである。

 聞いてないよ~

 おいらの書類ならおいらが直接病院にFAXしても問題がない。だが、「歯科医から病院にFAXして欲しい」と云うのである。

 もし、そうなら病院のお前から歯科医に頼むのがスジだろうと思ったが、あっけらかんとおいらに云うので、止む無く歯科医に電話してその旨をお願いしたら快くFAXしてもらうことができた。

 大学病院は偉いのだねぇ。もちろん、イヤミであるが…。

 大学病院にFAXが届いたころを見計らって、今度こそ予約がもらえると思って再び電話したら、今度は先生がその内容を見た上で予約を受けるかどうか決めるので翌日以降再度電話をくれと云う。

 ひえ~、これって役所と同じじゃん。

 大学病院ってこんなに融通がきかなかったかと思いながら、翌日、三たび予約の電話をした。

 すると、今度は抜歯の予約ではなく、診察の予約だという。そりゃ、そうかもしれないがやれやれ、これではいつまで経っても歯を抜いてもらえそうもない。

 そうしてやっと予約が取れたのが、紹介状をもらってから20日後であった。

 おいらは7月28日に大学病院の門をたたいた。午前9時半から11時までかかったが診察は無事終了(無論、レントゲンもありました)。そこで分かったことは、親知らずは歯科ではなく、歯科口腔外科で抜くのであり、おいらのように横に生えている歯は抜くのではなく、歯茎を切開して歯を二分割または三分割する手術によって取りだすということであった。

 ひえ~

 そして、「抜歯当日は激しい運動や入浴、飲酒は控えましょう。出血や痛みの原因となるため、血行を促進したり、傷口を触れて刺激を与える行為は避けてください。抜歯後出血が止まらない時は、ガーゼを小さく切って丸め、抜歯した部分を強めに噛んでください」との御宣託である。

 しかも、親知らずが顎(あご)の骨と一体化している場合が稀にあり、その場合は難手術となって、下手を打つと全部の歯の神経が一時的に麻痺する恐れもあると脅されたのである。

 ひえ~ ひえ~

 しかし、背に腹は代えられない。おいらは抜歯の予約をしたのである。運命の日は、約1カ月先の8月下旬となった。さあ、この顛末は今後また掲載する予定である。

 COMING SOON ! (この項続く)



大学病院で親知らずを抜き、悶絶する(その1)

 先日、このブログで述べたとおり、この土曜日(15年8月22日)に親知らずを抜いた。


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 おいら自身は抜くつもりが全くなかったのだが、親知らずの隣の奥歯を治療するためにどうしても抜かなければならなくなったのである。

 しかし、この親知らずは埋没して、しかも横に生えており、普通の抜き方ではでは抜けない。

 そこで、大学の附属病院で手術するはめになったことは先日述べたとおりである。

 そのエッセンスを述べると、親知らずをバカにしてはいけないのである。学術名は「下顎埋伏智歯」と呼ぶのである。

 恐れ多くも、下あごの中に埋没している歯のことである。したがって、親知らずは歯科ではなく、歯科口腔外科で抜くのである。

 しかも、おいらのように横に生えている歯は抜くのではなく、歯茎を切開して歯を二分割または三分割する手術によって取りだすというのである。だから、これは手術である。

 ひえ~。おいらは震え上がったのである。

 おいらは、TBSの安住アナウンサーの話しを思い出していた。彼も親知らず持ちなのである。

 安住アナウンサーもおいらと同じように親知らずを抜く羽目になったとき、ハタと考えたのだそうだ。自分はアナウンサーの身である。もし、親知らずを抜いて滑舌が悪くなったらどうしようか、と。

 そこで、歯科医と相談し、親知らずを抜かなくても良い処置をしてもらったのだそうである。だが、これにはオチがあって、親知らずを抜いても抜かなくても滑舌には影響がないそうである。

 だから、え~、そういう逃げ道があるのかよ~、と思いながら、おいらは当日を迎えることになったのである。

 午後3時に手術の予約を入れていたので、2時20分には大学病院に到着。自宅で歯磨きを終了していたが、病院内で念のため、再び歯磨きをしてリステリンで口中を洗浄する。

 そうしていたら、「早めではありますが、麻酔の準備ができました」と担当の先生から声をかけられたのである。年の頃なら30代後半か、小柄な女医の先生である。

 口腔外科の手術室は、同じフロアの一番奥にあり、そこに通される。手術用の椅子に座らされると、先生から挨拶をされて「今日のご調子はいかがですか」と質問される。

「斎戒沐浴しいてまいりました。調子は万全です」とおいらはひょうきんに答える。

 先生は可愛い顔をして、「それでは始めませう」とのたまわれるのである。

 さあ、いよいよ手術の始まりである(この項続く)。


大学病院で親知らずを抜き、悶絶する(その2)

 女医の先生でほっとしたことがある。


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 それは、歯の治療は口の中に手を入れるので、一般に手の小さい女医さんの方が腕が良いということである。これは安住アナウンサーからの受け売りである。

 だが、他方で抜歯は力のいる作業でもある。男性の方が力があるので、男性に軍配が上がるのではないかとも思うが、こういう手術は日進月歩である。今どき力仕事でもなかろうと自分に言い聞かせる。

 さて、最初の処置は、麻酔である。

 手術は、女医さんが麻酔薬のようなものを塗ることから始まった。右下の奥の親知らずのため、口を開け、最初はそこ(患部)に麻酔薬の様なものが塗られた。苦みのある薬である。

 そして、20分程度そのままにしておくよう指示されたのである。すると、今度は若い男性の歯科医師(インターンの先生のようだ)が様子を見に来られた。どうやらこの先生が助手を務めるようである。

 20分経過した頃、女医さんが戻って来られ、「麻酔をします」とのことである。麻酔は歯科医でやるような「パチンパチン」と音がする簡易麻酔(針をささないタイプ)ではなく、本格的な麻酔注射であった。

 これが、2本(だと思う)、しっかりと注射された。痛い。だが、耐えられない痛みではない。恐らく、この痛みに耐えるために最初に塗り薬がなされたのではないかと素人考えをする。

 そして、再び麻酔が効くのを待つのだが、これが意外に早く効いた。女医さんが「もう麻痺しましたか」と問われたので、「まだ三分の痺れです」と答える。

 歯科医には何度も通っているので、痺れるという感覚はいわば「いかりや長介の唇」のようになったときだと脳が覚えているのである。

 しかし、今回は違った。下顎だけ、既に完璧に麻酔がかかっていたのである。

 女医さんがそれを確認して、「それでは始めます」、「顔を覆いませう」と口だけ丸く穴の開いた大きめの和紙のようなカバーをおいらの顔にかけ、口の部分をテープで固定された。

 思い出した。おいらは目の手術をしたときも目の部分だけを出したカバーで顔を覆われたのだ。

 女医さんが「メス」と冷酷に叫ぶと、「ハイ」とインターンの先生の声がした。

 ひえ~、メスって響きはいやだよぅ~、歯茎を切開するんじゃん。おいらは悶絶する(この項続く)。


大学病院で親知らずを抜き、悶絶する(その3)

 麻酔はもちろん局部麻酔なので、先生とインターンのやりとりは全て聞こえる。


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 これは、何が起きているかが分かるという利点がある反面、何か怖そうなことが起きるのではないかという不安を増長させる欠点もある。

 おいらの親知らずは歯茎をメスで切開され、その全体が露出された後、まず最初にその歯の上部から下部に向かって縦に切れ目が入れられたのである。

 これは、いわば薪(まき)を縦に二つに割るのと同じである。

 そして、ある程度切れ目が入った後、今度は、一転してその歯の上部を横から輪切りにするのである。

 この工程は全てガリガリと唸るカッター(機械)で水をかけながら行われるのである。

 先生からは、お決まりの「痛くなったら左手を挙げてください」と云われる。

 だが、幸いなことに一度も手を挙げることはなかった。

 しかし、いろんなことが聞こえるのである。

 女医先生が「ポキンと歯が折れる音がします。驚かないでください」と云われる。縦に切った歯の上部を折って取り除くのだろう、しかし、これがなかなか折れない。

「取れないわねぇ~」

 おいおい、勘弁してよ~。

「水をかけます」と云って、ふたたびカッターが回る。どうもおいらの歯は大きくて硬いようだ。

 再び、「歯が折れる音がします」と云われ、今度はあっさりと歯が折れた。ポキン。いやだ、こんな音は二度と聞きたくない。

 しかし、これがもう一度あって、歯の上部が完全に亡くなったのである。

 続いて、今度は親知らずの下部を引き抜く作業である。

 これは無事抜かれたようだ。このときに出血したことを知る。先生が「血が出たわ」と喋ったからだ。歯を抜くのだから、根元から血が出るのは当たり前だと思う。だけど、出血しない患者もいるのだろう。

 実はここまでに苦しかったことが二つある。

 一つは、痛みは感じないのだが、口を開けっぱなしにしているので口の筋肉が笑うのである。

 笑うというのは、口の筋肉が開けていることに耐えられなくなり、無意識のうちにガクガクと閉じてしまいそうになることである。歯科医ではよくあることだが、こりゃ、辛いよ~。

 もう一つ。一時的に呼吸困難になったのである。

 これは、初めての経験であった。口を開け続けているので、鼻から呼吸すれば良いのだが、カッターを使っているときに鼻の気道が圧迫されたのか、呼吸困難になったのである。

 初老のおいらが苦しいと云って治療を止めてもらうのはみっともないので、そうしたくないと思う。だが、ゲホゲホと悶絶してしまったのである。

 いやぁ、これは苦しかったわ。

 さて、続いて縫合である。

 歯を抜いたので歯茎に大きな穴が空いたため、縫っていくのである。これが4針。このとき、インターンの助手が半分の2針を縫ったので、少々難儀した。やめてよ~。

 以上、時間がかかったが、とにもかくにも手術は成功して終了した。後で時間を確認したら、1時間20分もかかっていた(この項続く)。


大学病院で親知らずを抜き、悶絶する(その4)

 手術が終わったあとに、女医さんから抜いた親知らずを見せてもらった。


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 上部の2切れと下部の1本である。これが意外にでかい。驚いた。よくもまぁ、こんな大きな歯を抜いたものである。

 女医さんによれば、親知らずは幼少の頃未発達となり、小さいままのケースが多いのだが、これは完全に発達した成人男性の歯だそうである。親知らずは発達しなくても良い!

 その親知らずに見惚れていると、「お持ち帰りになってもいいですよ」との御宣託である。

 どうやら記念に持ち帰る人がいるようである。しかし、おいらにそういう趣味はないので、鄭重にお断りし、30分噛むように云われているガーゼを噛み続ける。

 噛み続けるのは、止血のためである。だが、出血は続く。

 だって、あれだけでかい歯を抜いたのだよ。

 先生から「傷口が細菌によって感染症を起こさないようにするための抗生物質、それに痛み止め、その痛み止めの副作用を抑える胃薬を4日間分、投与するので必ず飲んでください。それから、今日は薬局で薬をもらったらその場ですぐに一錠ずつ飲んでくださいね」と云われ、おいらは「ハイ、必ず飲みます」と二つ返事をしたのである。

 勝負は最初の30分である。とにかく止血し、その後は二日間安静にすることが最も重要らしい。

 今日と明日は禁酒、風呂はダメでシャワーのみ、食事はやわらかいものに限定ということだが、これだけの大手術である。厳守するほかはない。

 さて、手術室を出たおいらは止血のため、30分待合室で休むことにした。止血を確認したので、会計を済ませ、もらった処方箋を薬局に持ち込み、薬をその場で飲んだ。

 しかし、止まったはずの血はその後もだらだらと流れ続け、夕方、やっと止血した。このとき、患部が腫れていたことに気付く。ゲゲッ。

 痛みが出たのは、麻酔の切れた午後7時ごろからであった。右下顎が痛み始めた。ズキンズキンと痛み、この痛みは夜間も続いた。いつまで続くのだろうとおいらは気が弱くなる。

 痛みが続き、しかも、下顎が腫れているのである。穏やかではない。

 発熱するのではないかと思い、冷やしたアイスノンを枕にして早めに就寝するしかないとおいらはそそくさと横になった。やれやれ、やっと一日が終わった。痛みで夜、目が覚めませんように。

 だが、夜中に痛みで目が覚める。洗面所に行き、ツバを吐こうとしたら吐けない。水を口に含み、吐くと血だまりが出た。しかし、これは想定内である。心配しないで良いと女医さんから聞いていたので、そのまま再び寝た。

 そうして、翌日は少し良くなり、痛みが和らいだ。引き続き安静にし、翌々日、やっと腫れが少し引き、食事も柔らかいものではあるが食べられるまでに回復したのである(なお、今日は手術後5日目であるが、それでも完全に回復しているとは云い難い。まだ、腫れと痛みが少々残っているからである。結局、抜糸が来週の月曜日だから、全治一週間というのが完治の目安であろう)。

 以上、親知らずを抜いた一大スペクタクルは、これにてオシマイゴザソウロウ(この項終わり)。



定期健康診断

 今年も定期健康診断(横浜市特定健診)を受けた。


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 何と云っても検査のメインは、バリウム検診である。

 胃がんの検査のため、バリウムを飲むのである。そして検査結果に問題があれば、精密検査==>胃カメラという手順である。

 だったら最初から胃カメラを飲めば良いではないかと云うご意見もあろうが、おいらは胃カメラを飲むのが嫌いなのである。あれは、人間の尊厳を無視する検査だからである。まだ、腸カメラのほうがましである。

 しかし、今回はそれを云うためではない。今回のバリウム検査で知った事実を述べる。

 それはバリウム検査も進化しており、最近はわずか150CCのバリウムで検査ができることである。

 これは楽じゃのぅ。いわば、一口で飲んでしまえるのである。

 昔は何回かに分けて、その倍の量を飲んでいたように思う。だから、バリウムを排出するときの苦労は並大抵のものではなかった(上品に書いているが、当日排出できなかったときは悶絶したものである)。それに比べれば、大幅に減少である。

 もう一つ。

 この検診は、おいらの行きつけの町医者(診療所)で検査をしてもらうのである。そして、院長先生自らがレントゲンで部位を直接診て胃がんの有無を判断してもらうのである。

 その際、十二指腸と膵臓も同時に診てもらえることが分かったのである。

 これは凄いよねぇ。

 だって、バリウム検査は分業が進んでおり、胃がんなどの判断はレントゲン技師がすることが多いからである。だが、ここでは院長先生が自ら行う。

 そして、おいらの胃と食道、十二指腸と膵臓はキレイであり、健康であるとの御宣託をリアルタイムでいただいたのである。

 これはもう名医以外の何物でもない。院長先生をヨイショして先生はスゴイとお話ししたら、ぶったまげる回答が返ってきた。

「昔の医者なら誰でも判断できます。今では、どうもそうではないみたいですね。私の息子も医者ですが、診れません」

 ひえ~。そうだったんだ~。

 おいらは、今後もこの先生にずっと診てもらおうと思った次第である。

 まだまだ人生には驚くことが多い。

 なお、この名医はおいら同様、吞兵衛であり、おいらが「酒は百五十薬の長」と恐る恐るお話ししたら、先生は「いやぁ、私なんか一年のうち380日は般若蕩の世話になっていますよ」と返ってきた。

 だから、好きなんだよねぇ、この先生。


左足指骨折

 やってしまった。


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 左足の薬指の先端を骨折してしまった。日曜日の深夜である。自宅居間にあるソファーの足元に左足をぶつけたのである。

 ソファーをぶつけるのはよくあることだが、今回だけは違った。

 眼が居間の奥にある書斎を向いていて、足元を気にしなかったせいである。そこにソファーがないと云う感じで足を前に出したから、思い切って左足の先端をソファーにぶつけてしまったのである。

 左足の向きがやや右だったので、ちょうど薬指が最先端になったようだ。

 いやはや痛いの何のって。

 思わずその場でうずくまったほどであるが、激痛も数分で収まった。幸か不幸か、靴下を履いていたので(少しはクッションになったろう)、そのまま当日は就寝した。

 痛みはその晩は周期的にやってきたのだが、触らなければ痛みはないのでだましだましで一晩を明かした。

 翌朝、よかった、何でもないなと思ったが、蒲団から立ち上がると、やはり痛い。靴下を脱いだら、これがあっと驚く大三元。薬指が紫色に腫れあがっていたのである。痛いわけじゃのぅ。

 やむなく、整形外科の門をたたき、レントゲン写真を撮影してもらったら見事にヒビが入っていた。

 骨折(ヒビも骨折のうち)で全治2週間の診断であった。痛みの原因は歩くとひびの入ったところが離れるので痛くなるのだそうで、風呂は厳禁(温めない)、冷やすしかないそうである。やれやれ。

 治療はテーピングをしてもらい、中指を添え木にしてぐるぐる巻きにされた。後は、安静第一で時間の経過が薬。

 と、いう次第でおいらの好きなウオーキングは少々やめなければならないようだ。


教訓。

 こんな些細なことで簡単に骨折するなんて、これも老人力のついたおかげか? おいらは時間を無駄にするのが嫌で、日常の行動は今でも俊敏にする癖があるのだが、それはやめた方がよいとの天の啓示かも知れない。

 ゆったりと動いたとしても、誰も文句は云わないだろう。

 三千世界の鴉(からす)を殺し 主と添寝(そいね)がしてみたい。



腰痛再発、悶絶(前篇)

 今月の最後を飾るのに、このタイトルは情けない。


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 そう、腰痛が再発したのである。

 しかも、今回は深刻な事態である。立ったままの姿勢から座ることが難しくなったのである。

 逆もまた何とかで、一旦座ってしまうと立つのが難儀である。ただし、立ったままの姿勢だと何ともないのが不思議ではある(歩行も問題はない)。

 だから、電車に乗ると座ってはならない。何故なら、電車が停まってもおいらは腰が痛いので、直ぐに立って電車を降りることなどできないからである。

 立つまでに少なくとも30秒は必要である。だけど、周りの人はそんなことは知らないから変な年寄りが固まっているようにしか見えない。

 畢竟、電車はたったまま乗車することになる。

 いやぁ、まいったなぁ。

 発端は重いものを担いだからである。自業自得と云えばそれまでだが、書斎の大量にある書籍を整理するには本は重すぎる。

 しかし、そんなことを云っても始まらない。とにかく腰の様子がおかしいと気付いたのは1か月前からであったように思う。

 本来は、早く医者の門を叩くべきであったのである。おいらは40代後半でぎっくり腰になっており、腰痛の怖さは誰よりも知っているのである。しかし、ついつい先延ばしにしたのだよねぇ。

 それがだましだましで先週末まで続き、今週初めにとうとう臨界点を超えた。

 朝、寝床から起きて立ち上がろうとしたら腰が痛くて起き上がれないのであった。1秒前までは何の問題もなく何の痛みもなかった腰が、突然悲鳴を上げたのである。

 おいらは悶絶し、XXX(脚の不自由な人の差別用語)のように蒲団の上と畳の上を這いながら移動し、それでも時間をかけてやっとのことで起き上がることができ、一旦直立すると歩行が可能となったのである(この項続く)。


腰痛再発、悶絶(後篇)

 おいらは思ったのである。


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 左足指の骨折で治療してもらった整形外科の門を叩くのは良いが、そこでのリハビリ室はあたかも拷問部屋(笑)のようである(写真はカラヴァッジオ)。

 しかも、治るなら耐えられるが、どうもリハビリはその場しのぎのイメージが強い。できることなら行きたくはない。

 だが、そんなことを云ってる場合ではない。

 咳をするだけで腰が痛むのである(余談だが、尾崎放哉の「咳をしても一人」は秀逸の句である。おいらの場合は「咳をすれば腰痛」)。

 おいらはこのまま放置していたら車椅子の生活になるかも知れないと震え上がり、整形外科の門を叩いた。

 愚妻が杖を用意してくれた。杖がこんなに役に立つとは思わなかった。杖をつきながら出向いたのである。

 さて、先生とは足指の骨折のときに面倒を見てもらっているので、軽口を叩けるまでになっている。とにかく痛みを取って欲しいとお願いするとまずは定番のレントゲンである。背骨と腰骨を正面と側面から2枚撮影する。

 これで分かったこと。

 おいらの背骨は正面から見て上から左側に曲がり続いて右側に曲がり、腰骨の手前で左側に曲がり全体でまっすぐに見える。ややこしいが、要は背骨がS字に湾曲しているのである。

 しかし、ほとんどの人の背骨は10代後半に身長が伸びているときに曲がっているから心配はないという(ほんまかいな)。

 いずれにしてもぎっくり腰や椎間板ヘルニアでないことが分かったので、安静にして様子をみるしかないとの見立てである。

 先生による対処方法は次のとおり。

1.痛み止め(ロキソニン)の服用。

2.湿布(おいらは貼るタイプは肌がかぶれるので、塗るタイプにしてもらった。これだとかぶれは少ない)

3.コルセット(腰に巻くのである。保険適用があるので、眼は飛び出ない)

4.リハビリ

 であるが、4はとりあえず1から3までを1週間行い、その後検討することになった。

 特筆すべきは、1のロキソニンであるが、おいらは習慣性を嫌い、あまり飲みたくないと先生に云ったところ、「患部の炎症を抑えることによって痛みを和らげるのでしっかり飲んで問題ない」というご宣託をいただいたことである。

 ハイ、ワカリマシタ。

 ということで、どうなることやらおいらの腰痛(この項終り)。


腰痛、その後

 もう一生治らないのではないかと思った腰痛のその後である。


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 あれから約2週間経過し、一番痛いときの数値を10としたら2程度までに治まった。やれやれ(写真はカラッヴァジオ)。

 しかし、まだ痛みがあるのには変わりない。痛みの元を治さなければ、痛みは続くのである。

 だが、腰痛の原因は重いものを持ったからということだけしか分からない。先生の見立てでは、ぎっくり腰のように原因がはっきりしているものは治療がしやすいようだ。

 それに反し、おいらのようにじわじわと腰痛になった場合は、腰痛にかかった時間と同じ長さの時間が治癒に必要らしい。

 つまり、安静が第一で、日にちが薬なのである。

 実際、先々週よりも先週、先週よりも今週の方が痛みが減っている。杖も使わなくてよくなった。電車の中でも座ることができるようになった。これはうれしい。

 ところで、立ったり座ったりするときのコツは、両足のつま先を揃えるのではなく、左右のつま先の位置を前後にずらしておくことである。

 そして腰を曲げるのではなく、膝を上下させることによって腰を連動して上下させるのである。

 だから、椅子から立ち上がるときも右足を前にして左足を後ろにして腰を上げるとすっと立ち上がることができる。

 要するに腰を曲げるのではなく、膝を曲げるのである。

 なお、コルセットの常用は筋肉を弱らせるので痛いときだけ使うと教わった。なるほど、そりゃそうだ。

 日にちが薬。それにしても腰痛とは辛いものよのぅ。



血圧高めは問題か(前篇)

 テレビのCMが「血圧130は血圧高め」と連呼している。


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 他方で、週刊ポスト(16年12月23日号)は「『血圧147』は健康値である」と正反対のことを云っている。

 確かに血圧が高すぎるのは問題だが、おいらはどうもこの背後に高血圧利権があるような気がしてならない。

 だって、血圧が130以上になったら「医者の門を叩く、薬を飲む、予備軍の人間も血圧を上げないようなトクホを飲む」などとなると、そのためにかかるコストは莫大なものになるのは明らかだからである。

 だから、おいらは高血圧の水準が130というのは怪しいと思っている。130にしたら儲かる連中がわんさかといるからである。

 ところが、この話しはそこでは終わらない。おいらもこの問題に直面することになったからである。

 ある日の朝、おいらが血圧を計ったら147あったのである。おいおい、これって高血圧じゃないか、やばいよ。

 そのある日とは、昨年の10月下旬のことであった。おいらの誕生日の祝いに、娘から血圧計(手首に巻くタイプ)をプレゼントされたのである。

 では、なぜおいらは血圧計をプレゼントされたのか。これは単純な理由で、娘の事情による。期限の切れるポイントがあったので、そのポイントで買えるグッズが血圧計だったようだ。

 それはさておき、高血圧の原因は「加齢」「体質」「生活習慣」である。おいらも前期高齢者であり(加齢)、母は高血圧による脳梗塞(体質は遺伝する)を罹患したし、おいらは酒が嫌いではない(生活習慣)と、血圧が上がる要素を一つもはずしていない。

 おいおい、おいらが高血圧?(この項続く)


血圧高めは問題か(中篇)

 くしくも週刊ポスト(前掲)の「『血圧147』は健康値である」の147だ。


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 だが、健康値だと云いながらも、客観的には140を超えているのだ。おいらも高血圧の仲間入りかと思ったのだが、昼に計り直してみると、126と下がっている。そして、夜には108まで下がった。

 つまり、

 朝147 ==> 昼126 ==> 夜108

 ということである。

 おいおい、これってどういうこと?

 翌日、起床して計ってみると141もある。朝の血圧が高いのだ。ところが、昼に下がって、夜は最も下がる。この傾向はその後も続くことが分かった。

 これは「モーニング・サージ」と云って、朝起きるときに血圧が上がる症状らしい。特にこの時期は朝が寒い。寒いと血圧は上がるのである。

 だから、朝、起きてトイレに行って血栓が血液中を流れ、脳で詰まって脳卒中(脳梗塞)を起こすというパターンがよくあるのである。おいらの嫁の親戚のおばさんも朝、自宅を出た途端、倒れたという。モーニング・サージである。

 これを防ぐためには、朝、起きたらすぐには蒲団から出ないで30分程度ウオーム・アップしてから起きるのがいいらしい。

 しかし、それでは対処療法である。

 根本を治すには、体質改善と薬に頼らない対策の実施が必要である。

 そこで、おいらは最近さぼっていた休肝日の設定とウオーキングを11月から再び開始したのである。

 そして、テレビのCMに乗っかり、12月中旬から某社の特定保健用食品「胡麻麦茶」を毎日飲むようにしたのである。

 さて、その効果はいかに(この項続く)。


血圧高めは問題か(後篇)

 おいらの年間の休肝日は、100日(=週2日)が目標である。


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 酒を飲むと肝臓が大量の水分を使用するので、早い話しが喉が渇くのである。

 夜、寝床に水差しを置いて就寝しているのだが、それでも血液中の水分は不足気味となり(つまり、ドロドロ)、血流をよくするために血圧は上昇するのである。

 要するに、酒を吞むと血圧は上がりやすくなるのである。

 ところが、昨年後半は休肝日をさぼっていたため、年間100日の目標達成がおぼつかないことが分かった。そこで、再び集中的に断酒日を設け、家では飲まないことにしたのである。

 結局、昨年の休肝日は80日となって目標である100日を達成できなかったが、それでも後半は飲まない日を集中することができた。これによって、血圧が下がり始める素地はできたはずであった。

 しかし、12月は忘年会が続いたのである。毎日、血圧手帳に血圧の数値を書き込んでいたのだが、朝、血圧が140を下回る日は数えるしかない。

 トクホの胡麻麦茶も12月半ばから飲み始めていたが、すぐに効果が出るわけではない。相変わらず昼と夜は下がるが、朝の血圧は高めなのである。

 血圧が下がらないと、血圧降下剤を飲んでいる、多くの友人の顔が浮かぶのである。

 年寄りは皆、血圧を下げる薬を飲んでいるのである。でも、血圧降下剤は一旦飲み始めたら途中で止めることが(一般的に)できないのである。

 できれば、飲みたくないのぅ。

 ところが、年が明けて今年に入ってから、朝も血圧が130台まで下がるようになったのである。

 胡麻麦茶を飲み始めて3週間目から効果が出たのか、はたまた、休肝日の復活とウオーキングを欠かさなかった効果の表れか、140以上の数値が出なくなったのである。

 これは嬉しかったねぇ。先日行った定期検診での血圧の数値は午前中にもかかわらず、114という低い数字であった。やれやれこれで血圧降下剤を飲まなくても済みそうである。一安心じゃうのぅ。

 おいらはそのため、主治医と血圧談議に花を咲かせたのであるが、先生も強力な血圧降下剤を飲んでおられ、おいらも上がるようになったら薬を飲めばいいだけだと全く心配されなかったのである。

 ま、何はともあれ、おいらの血圧は下がったのである。めでたし、めでたし。

 教訓。当分、休肝日、ウオーキング、胡麻麦茶を続けることにしよう(この項終り)。


「がん保険」の効用(前篇)

 突然であるが、あなたは「がん保険」に入っているだろうか。


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 「がん保険」とは不思議な保険である。

 なぜなら、がんに罹ったときしか保険の対象とならない保険だからである。実際、世界中でがん保険が普及している国は極東(日本、韓国、台湾)と米国の一部だけである。

 がん保険は1974年にアフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)が日本国内で発売し爆発的に売れたのだが、本国でもこのような保険は珍しいのである。

 こういうふうに保険の対象を限定する場合、先進国ではがんのほかにも心臓病や脳梗塞なども対象にする「重大疾病保険」が普通だからである。

 ま、その話しはさておき、なぜこのような話しをするかというと、おいらの行きつけの医院で先日受けた定期検診の結果、おいらに胃がんの疑いが生じたためである。

 バリウムを飲んだのである。昨年もこのブログで書きこんでいるように食道、胃、十二指腸、膵臓はキレイだったのだが、今年は胃で引っかかった。

 昨年は何にもなかった部位に影が見つかったのである。こりゃ、やばいわ。

 同じ部位を昨年の写真と今年の写真で比較すると明らかに何かがあるのである。

 主治医の先生は間髪を入れず、「ハイ、看護師さん、胃カメラの予約取って」となった。トホホ。

 冷静に考えてみると、日本人が生涯を通じてがんにり患する確率は男性が54%、女性が41%である。日本人の二人に一人はいつかがんに罹るのである。

 おいらの周りを見ても高齢者でがんに罹患していない人を探すことは難しい(胃がん、大腸がん、前立腺がんなど)。

 だが、昔はがんになると治らなかった。おいらが中学生のときに池田勇人元総理は喉頭がんで死んだ(昭和40年)。がんになると、総理でも助からないのだと子ども心に震え上がった記憶がある。また、三島由紀夫ががんになることを病的に恐れていたことは有名である。

 しかし、医学の進歩はすさまじい。今やがんは不治の病ではない。がんは早期発見さえすればほとんどが治るのである(この項続く)。


「がん保険」の効用(中篇)

 さて、主治医の先生から胃カメラを飲めと云われて、ショックでなかったと云えばウソである。


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 一難去って、また一難。血圧の問題から解放されたら、今度はがんかよ~、である。

 だって、胃がんになった疑いがあるということによって、無意識のうちにがんの恐怖がおいらを襲うからである。

 ところが、おいらはそれよりも胃カメラを飲むのがいやだというのが最初の感覚であった。

 胃カメラを飲むのはこれで生涯4度目である。

 直前の3度目は35才ごろであった。広島に勤務しているときである。若い先生から胃カメラを飲めと云われたので、「先生、それは胃がんですか」と質問したら、その先生がしどろもどろになったことを覚えている。

 本当は胃カメラなど飲みたくないのだが(人間の尊厳を損なう)、娘がまだ小さかったから飲まざるを得ない。おいらもエイヤッで検査を受けたのだ。結果は何でもなくて、肩すかしではあったが。

 で、今回は前期高齢者の身。

 肉親も大腸がんなどにかかっているので、おいらも胃がんの可能性は充分ありうる。

 では、がんになると具体的にどういう問題に直面するのか。

 その答えは、三つの大きな問題に直面すると云われている。

 一つ目が治療面(難行とも云われる)、二つ目がメンタル面(死への恐怖)、三つ目が仕事面(経済的負担)である。

 実は、がんになった場合の最大の問題点は、がんになったことが分かったとき、死への恐怖が始まる以上に、多くの職場で治療に専念して欲しいという名目のもと、肩叩きが行われることである。

 これでは踏んだり蹴ったりである。がんの治療に専念して長期休養後、再度現場に復帰したいと考えていても「会社を辞めてくれ」と云われるのである。これでは治療面やメンタル面にも悪影響を与え、当然のことながら治療費の負担にも暗い影を落とさざるを得ない。

 ここで、がん保険の登場である。

 がん保険の効用は、がんに直面した場合の三つ目の問題点である「仕事面(経済的負担)」で経済的な不安を除くという観点から重要な意味を持つ。

 だが、おいらは既に隠居の身である。肩叩きの問題はない(この項続く)。


「がん保険」の効用(後篇)

 さて、がん保険である。


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 実は、がん保険に加入する効用で最も優れたものはがんに直面した場合の三つの問題点(中篇参照)のうち、意外にも二つ目のメンタル面に対して、である。

 日本人にとってやはりがんは特別な病気なのである。

 がんになることによって、自分の人生、家族の人生は大きな転機を迎えることになるのである。大げさに云えば、がんにり患することによって本人と家族の将来は劇的に変わらざるを得ないのである。

 しかし、がん保険に入っていれば、そのときのために用意しておいた保険があるよと事前においらのみならず家族に対しても云い聞かせることができるのである。

 それががん保険の効用だろう。

 長々と書いたが、実は、おいらもがん保険に入っている。

 この保険の利点は、「悪性新生物になったと医師によって診断確定されたとき」に保険金が即、支払われることである。

 実は、がん以外の三大疾病(心筋梗塞・脳梗塞)の生前給付保険金の場合はがん保険とは違って、すぐには支払ってもらえないという落とし穴がある。

 約款によれば、がん以外の疾病では最低2ヶ月間はたなざらしにされる(すぐには保険金が貰えない)のである。

 何が云いたいのか。

 早い話しが、がんと認められれば、すぐにがん保険金がもらえるのである。

 そうか、そうであれば、万が一おいらががんだと診断されれば、ちょっとまとまった保険金がもらえると云うわけだ。

 これは悪くない。

 よ~し、今年はパリ郊外シャンパーニュのランスにレオナール・フジタが晩年絵を描いた教会(ランスの礼拝堂)に行く予定である。愚妻と一緒にビジネスクラスでパリに行ってみるかぁ。

 そう思わなければ、やってられないぜょ(この項終り)。


胃カメラをのむ

 とうとう胃カメラをのんだ。


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 過日、このブログで、おいらに胃がんの可能性があると書き込んだが、今だから白状するとその確率は主治医によれば2割だった。

 2割と云えば、ほぼロシアン・ルーレットである。リボルバーに一発だけ実弾を入れ、弾倉をカラカラと回してこめかみに銃口を向け、引き金を引くのと同じである。

 嫌だなぁ~。ロシアン・ルーレットをやる勇気はおいらにはない。


 昨日のことである。胃カメラの検査の予約時刻は午後3時であった。

 こりゃ、辛いよねぇ、当日の午前10時以降は水も飲んではいけないのである(固形物の食事は前日の夜12時まで)。

 したがって、おいらの取った作戦は、当日の昼まで寝ていることであった。これなら、午前中の検査と変わらない。

 さて、その胃カメラをのむのは30年振りである。

 医学は日進月歩しているのだから、30年前と比べて随分のみやすくなっているはずだと思ったのだが、やっぱり苦しかったねぇ。

 ただし、胃カメラが入っている時間は5分から10分程度。だから、難行ではあるが、耐えられない時間ではない。

 それに、胃カメラをのむ前に喉の麻酔を行う。これは、ゼリー状の麻酔剤(辛いのぅ)を口の中の舌の上に丁度5分含む。すると、確かに麻酔が効いた感覚となる。

 そして、ベテラン看護師は「のどちんこが見えるように口を開けると抵抗なく胃カメラが入りますよ」とのたまう。

 なるほどそうですかと真似ながらマウスピースのようなものを噛んで待っていたが、実際に胃カメラが入ってくるとえづいてしまうので、あまり効果はない。

 要は、胃カメラが喉を通過するときに反射的に吐きだそうとするので、えづくのである。

 そして、喉を通過してしまえば麻酔が効いているので「おや、意外に楽だな」と思うのだが、次に、ぐいぐいと胃カメラが胃の中に侵入していくと胃は曲がっているのでつっかかり、「おえおえおえ」となるのである。そのときのなさけなさと、胃に胃カメラが突き刺さる違和感は半端ではない。

 おいらは焼きとりの串を連想してしまった。これはお尻から腸カメラを入れたときの感覚と同じだと気付いた。下腹を違和感が襲うのである(このブログ「病気のデパート(下血騒動記ほか)」参照)。

 なお、よだれが溜まるのでその都度吐き出せばよかったのだが、胃カメラ初心者のおいらにそれが分かるはずもなく、口の中に一杯よだれを溜めていたことが後で分かった。


 閑話休題。


 さて、検査の結果、幸いなことに胃がんは見付からなかった(嬉し涙)。おいらの胃には浅いポリープがあり、そこが盛り上がっていたのである。それがバリウム検査でひっかかったと判明した。

 だから、主治医からは来年以降はバリウムではなく、胃カメラをのむことを薦められた。

 ハイ、ソウシマス。

 以上、本日ハ、コレニテオシマイ。


 なお、この場を借りて、おいらの健康を心配していただいた皆さんにお礼を申し上げます。特に、福山のTSさん、胃カメラをのむのが心配ないというエールをお送りいただきありがとうございました。大変心強いものでした。謝々!!


肺がんの精検までさせられた

 すでに胃がんではなかったことを、このブログで述べた。


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 しかし、実は、今年の検診では、肺がん検診でも要精密検査と診断されていたのである。

 ただし、これにはオチがある。

 今年も主治医のところで検診を受け、肺のレントゲン写真を撮影してもらったときのことである。

 レントゲンの結果はすぐに分かるので、先生は大きな写真を観ながら「異常ないですね」との御宣託であった。

 問題は胃がんの可能性があったので、胃カメラをのみませうということであり、その顛末はこれまで述べたとおりである。

 ところが、一週間後、封書が送られてきて、肺がん検診で要精密検査(「E1」表示)と脅されたのである。

 ネットで調べてみると、「E1・E2」の意味は、「肺がんなどの疑い」とある。

 やれやれ、「一難去らずにまた一難」かと思い、ただちに主治医の門を叩いた。

 ところが、主治医も不思議な顔をするのである。

 昨年のレントゲン写真を引っ張り出してきて、「これが去年、これが今年。でもね、今年の写真は去年と変わっていないでしょ。去年は異状なし。だから、こりゃ、今年の見立てがおかしいわなぁ」

 そう云われても気晴らしにしかならない。ま、自覚症状は全くないのだが、元々肺がんの初期は痛みなど感じないのだそうだからあてにならない。

 仕方がないので某大病院を紹介してもらって、CT検査を受けたのが先週の月曜日。その結果が判明したのが今週初めである。

 そのときの医師との会話。

 医師は、おいらが主治医から預かってきた2年分のレントゲン写真を観ながら、「何で来たの?」

 おいおいこっちが聞きたいよ。

 結論。CT検査で異常なし。

 同席した愚妻がことのほか喜んでおったのぅ。

 ただし、CT検査の結果、レントゲンでは見えない小さな影がないとは云えないそうで、念のため、6月に再CT検査を受けることになった。

 やれやれ、医療過誤を気にするのか、慎重な先生じゃのぅ。ま、しかし、健康にはこれくらい気を使うべきなのじゃろう。

 とまれ、胃がんでも肺がんでもないことが分かった。おいらの理想とする死に時の72才までは生きることができそうだ。今年は長編にとりかかる予定でいる。神にもらった命。おろそかにはしない。


ピロリ菌をやっつけることに(前篇)

 何の因果か、ピロリ菌をやっつけることになってしもうた(写真は、ネットで見つけたピロリ菌の画像。気持ちの良いものではない)。


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 原因は、胃がんの疑いである。

 ま、結局は胃がんではなかったのだが、主治医によれば、胃がんの防止にピロリ菌の除去が効果があるという。

 おいおい、胃酸は強い酸性なので通常の細菌は死ぬはずだろう。そう思ったのだが、このピロリ菌は特殊な酵素によってアンモニアを出し、胃酸から身を守るのだそうである。ひえ~、忍者のような菌じゃのぅ。

 そして、このピロリ菌が胃潰瘍、十二指腸潰瘍や胃がんの発生源になるという。

 ピロリ菌、厄介じゃのう。

 だけど、おいらの記憶では、日本人の60歳以上はほとんどがピロリ菌感染者のはずだから今更と思ったのだが、主治医が今のピロリ菌除去法は簡単だから是非ともお勧めするとの御宣託である。

 ハイ、ワカリマシタ。

 おいらは、主治医の云うことには従うのである。

 まずは、おいらの胃にピロリ菌がいるかどうかの検査である。今は内視鏡を使わないでも簡単にピロリ菌の有無を調べる方法がある。

 この医院では吐く息を取って調べる「尿素呼気試験」を採用しており、おいらの吐く息も採取された(5分程度で終わる本当に簡単な検査であった)。

 さて、その結果や如何に(この項続く)。


ピロリ菌をやっつけることに(後篇)

 1週間後、再び医院を訪れ、検査結果を聞くと数値は36.7であった。


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 この数字は3.0以上でピロリ菌に感染しているのだそうである。人によっては、100以上の人も結構いるらしいが、これでおいらも立派なピロリ菌感染者だと判明した。

 主治医曰く。

「数値が5でも除菌される方がいらっしゃいます」

 ハイ、ワカリマシタ。

 では、その除菌の方法とは!?

 今では、抗生物質を1週間飲むだけで除菌できるのである。ひえ~! そうとは、知らなんだ。

 しかも、この薬は2000年から保険が適用されているという。

 で、おいらが処方箋を貰って、薬局で貰った薬が上の写真。

 すごいよ、この量(1日2回、朝夕服用)。しかも、服用中は飲酒厳禁。なるほどそういうことか。

 そこで、先週までは飲み会が入っていたので服用はせずに、今週は断酒しても差し支えないスケジュールのため、昨日から服用を始めたのである。

 ピロリ菌の除菌と同時に禁酒もできるので一石二鳥?である。

 さあ、おいらのピロリ菌、どうなることやら。

 服用後、1か月して再び医院を訪問し、(空腹時に)ピロニック呼気法で除菌できたかどうかの検査を行うという。

 さあ、まずは今週、斎戒沐浴してピロリ菌の除菌をしよう。この顛末は、また来月に(この項終り)。


椎間板ヘルニア

 とうとうやっちまっただよ。


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 椎間板ヘルニアになっちまった。

 昨年後半に罹患していた腰痛が今年初めにやっと治ったばかりだった。ところが、今月前半から再び腰の調子が悪くなったのだ。

 この痛みは、歯痛が腰に来たのと同じである。つまり、脊椎の神経に触り、脳に痛みが直接届く。いやはや、痛いの、何のって。

 おいらはかつて結構長い間、首を痛めていたが、それの脊椎への再来である。

 息をしても痛い。寝ていても痛い。何もしないでも痛い。何かするともっと痛い。座ると痛い。立っていた方がましだが、やはり痛い。

 つまり、ずっと痛い。

 普通の腰痛とはレベルが違うのである。勘弁してよ~。

 とほほ…。

 だが、特に原因があるわけではない。

 そこで、先週から再び整形外科の門を叩いたのである。

 お定まりのレントゲンと鎮痛剤。この痛み止めがあまり効かない。ロキソニンでは効かない。それほどの痛みである。だから、他の鎮痛剤との併用になる。これが眠気を引き起こすので、本当はあまり使いたくない。しかし、背に腹は代えられないのでやむなく服用。

 そして、とうとう、リハビリ。

 週2回のペースで温熱治療の後の電気治療。その後の理学療法士による整体もどき。

 毎回思うのだが、これらの治療はやっているときは痛みが取れ(特に整体)、一旦は治ったつもりになるのだが、その後がいけいない。

 30分もすれば、また、じわ~っと痛みが。

 勘弁してよ~。

 当分、だまし、だましで過ごすしかなさそう。

 結論。世の中には、痛みのある人と痛みのない人との2種類しかいない。

 痛みのない人の人生は、幸せである。


椎間板ヘルニアその後

 椎間板ヘルニアのその後である。


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 椎間板ヘルニア(「座骨神経痛」とも云う)とは座骨がずれて、その座骨が脊椎を覆っている神経に直接あたるので、その痛みは強烈である。

 だから、痛みを避けるには逆転の発想しかない。

 つまり、背骨をいろいろと動かし、神経にあたらない体形を見つけ、その体形を維持すると痛くないということに気付いたのである。

 で、あたらない体形を探し出し、その体形のまま安静にしていると痛くないのでそのままの格好を維持する。

 という、漫才みたいな話しを続けている。

 恐らくこの痛くないという格好は個体差(個人個人)によって変わり、そのスタイルは千差万別だと思うのである。

 で、おいらの場合は、この格好が「でっちり」にするのと、「左側の腰を浮かせる」というものである。

 これには解説が必要である。

「でっちり」にするときに、体をえびぞる(海老反る)のである。これは永年、おいらが腰を前向きにしていた、つまり、猫背にしていた反対のことをするということ(=体を矯正するということ)である。

 もう一つ。

「左側の腰を浮かせる」というのは、座ると、坐骨神経は腰(太腿内側)の筋肉の下側になる。この筋肉が経年によって固くなり、体重がかかると坐骨神経を圧迫するのである。

 だから、左腰を浮かせると坐骨神経を圧迫しないので楽になる。

 この二つに気付いたら、鎮痛剤を止めることができるようになった。また、医者も「それで行きませう」ということになった。

 引き続き、リハビリ(背骨の矯正と太腿の筋肉のマッサージ)もやっているので、そう遠くない時期に普通の姿勢でも痛みから解放されると思う。

 以上が、おいらの椎間板ヘルニアのその後である。

 椎間板ヘルニアに苦しめられているお方がいらっしゃるとしたら、参考になるかも。

 本日はこれにてオシマイ。


花粉症がひどいよなぁ

 昨日は散歩日和で、おいらの好きなウオーキングにはピッタシであった。


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 しかし、花粉の飛び方が尋常ではない。

 この時期、本来なら花粉の飛沫は終わりそうなものだが、まだまだ飛んでいる。調べてみると、昨日などはこの時期、ヒノキ花粉が飛散のピークだそうである。

 だから、花粉症の人間にとって、外に出ることは自殺行為に等しい。

 マスクをしていても鼻水が自然にツツーと堕ちてくる。鼻水は普通流れるものであって、水のように堕ちてくるものではない。それほどひどい。

 くしゃみも相当なものである。あれは腰に悪い。

 眼も痒くてたまらない。

 眼の裏が痒いので、眼球を取り出して洗浄したいほどである。しかし、そんなこと出来んよなぁ。

 そこで、鼻、眼、それぞれ花粉症対策の薬を使って症状を緩和させているのだが、それにも限度がある。

 もう少しガマンガマン。

 ショボショボ…

 とにかく花粉症の季節が去るのをひたすた待つしかないのぅ。


ピロリ菌その後(前篇)

 このブログに書き込んだとおり、先月からピロリ菌除去をしている。


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 1週間、酒を断って抗生物質を朝夕飲むのである。

 そして、1か月後、ピロリ菌が完全に除去されたかどうかの検査を行うのである。

 前にも書いたが、おいらには胃がんの疑いがあった。幸い胃がんではなかったが、主治医の勧めによって胃がんの原因となるピロリ菌を除去することになったのである。

 この検査結果で、おいらの数値は36.7であった。この数字は2.5以上でピロリ菌に感染しているため、おいらは立派なピロリ菌保有者である。

 このためこの数値を2.5以下にするために薬を飲んだのである。

 その除去効果を調べるために、先週再び主治医の門を叩いたのである。

 この除去方法での成功率は約85パーセント。もし、除菌が不成功だった場合は、抗生物質の種類を変えてもう一度同じ除菌方法を採る。

 さて、検査方法は前回と同じで、内視鏡を使わない簡単なピロリ菌検査である。

 吐く息を取って調べる「尿素呼気試験」であり、おいらの吐く息を2回採取する(20分間隔で2度行う)。

 その結果が今週出たというので、主治医にその数値を聞きに行った。

 さて、成功率85パーセントの結果や如何に(この項続く)。


ピロリ菌その後(後篇)

 おいらの名前が呼ばれて主治医と対面した。


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 検査結果を聞くと、数値は何と5.5であった。

 前回は36.7であったから5.5ということは大幅にダウンしたことになる。

 えがった、えがった。

 ところが、主治医は真顔で曰く。

「数値が2.5以下で除菌が成功です。5.5だとまだ残っているので、除菌失敗です」

「え、え~」

「どうします」

「先生、でも5.5と2.5だと差はないでせう」

「でもダメなんだよねぇ。この数値は厳密に判断しないと」

「やりませう、あなたならできますよ」

「センセ、でもまた失敗だったらどうします」

「そのときは三度目の抗生物質があるんですが、保険が適用されないんでやることはありません。でも二度目まではやりませう」

 ハイ、ワカリマシタ。

 という次第で、再び、ピロリ菌除菌のために抗生物質を飲む羽目になったのである。

 やれやれ、この先、どうなることやら(この項終り)。


今週は禁酒中(またまたピロリ菌)

 ピロリ菌退治の続報である。


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 ピロリ菌の退治は、禁酒しなければならないのである。しかも、まるまる1週間連続だ。

 おいらは適度に友人との飲み会を行っているので、1週間連続して酒を飲まない週などない。だから、酒絶ちの週はなかなかやって来なかったのだが、連休明けにやっと酒のお誘いがかからなかった週ができたので実施することにした。

 そう、二度目のピロリ菌退治の抗生物質を飲むのである。朝夕、1回ずつ5錠である。

 でも、この断酒がいやでピロリ菌退治をしない人が多いようだ。そりゃそうだろう。

 主治医に聞くと、ま、少量のアルコールならやむを得ないというが、「友遠方より来る」場合は少量では済まないところが辛い。

 人生万事、塞翁が馬。

 おいらの最近の血圧は低めとなっているが、早朝、血圧をはかると130を超えることがある。そこで、酒を断てばまた低くなるかもしれない。おいらの経験則では、酒量を減らすと血圧はテキメンに下がる。モノは考えようで、血圧も下がるのなら、酒を止めようと前向きに思うことにした。

 そこで、先週の土曜日から薬を飲み始めたので本日が6日目。いよいよ明日は解禁である。

 同時に、明日は新宿でジャズ祭りがある(第13回「新宿ジャズ祭り」於・新宿文化センター)。

 ジャズ好きのSさん(関西のジャズバンド「ニューオリンズ ラスカルズ」の大ファン)と一緒に新宿に伺うのである。好きなトラッドジャズを聴きながら、ポケットボトルに入れたバーボンをちびちびやるのも乙なものである。

 断酒の後の酒ほど旨いものはない。しかも昼酒である。こたえられんのぅ。

 良い音楽、良い友、良い酒。人生は捨てたものではない。


 ところで、ピロリ菌、本当に退治できるんだろうか。これだけはわかんねぇなぁ。



夏風邪でダウン

 夏風邪でダウンしてしまった。


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 ことの発端は、暑いので晩酌をギンギンに冷えた水割りにしたことである。おいらはもともとお湯割り派なのだが(中でもバーボンのお湯割りはサイコーである)、こう暑くてはお湯割りは我慢大会のようなものである。

 そこで大き目の氷を作り、グラスにその大きな氷を一つ入れて冷えたミネラルウオーターを注いで水割りにするのである。

 しかし、昼間も熱中症予防のため、冷たい水を大量に飲んでいる。

 だから、胃腸をやられて、体力が衰えているところに風邪の病魔に襲われたようだ。

 数日前から喉が猛烈に痛くなり、痰がからみ、鼻水が出て詰まり、そうして昨夜は38度6分まで熱が出た。

 転居先なので主治医もおらず、とりあえず、昔貰った喉の抗生物質を飲んだのだが、これが全く効かず、高熱の世界をさまよい続けた。

 ただし、発熱のパターンはいつもと同じで、悪寒==>震え==>高熱==>大量の汗==>パジャマと下着と夜具の交換で何とか37度前半まで下げることができた。

 このとき役に立ったのが市販薬の「エスタックイブ」(エスエス製薬)である。だが、諸兄よ、市販薬をバカにしてはいけない。この薬にはイブプロフェンが配合してあるので、喉、寒気、鼻水には絶大の効用をもたらす。

 おいらの症状にドンピシャだったので、劇的に解熱、喉の痛みの解消、鼻水のつまりに効果があったのである。

 そして、何よりも休養が大切と丸一日寝ていたのだが、好事魔多し。市販薬は所詮対処療法なので、再び、熱が39度まで出た。

 おいらは、本日午後医者に行き、薬を貰って今はひたすら安静にしている(インフルエンザ患者が一人、市内ででたが、この症状はインフルエンザではないとお墨付きをもらった)。

 よってこのブログ、2、3日はお休みをいただきます。すんません。


 教訓。胃腸の次は風邪に注意。


夏風邪、その後

 今回の夏風邪は質が悪い。


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 日曜日に発症して39度の発熱となり、翌日の月曜日に医者から処方してもらった抗生剤や解熱鎮痛薬を飲んだ。

 だが、翌火曜日の朝、熱が37度5分程度までは下がったものの、その日の午後には再び39度近くまで上がったのである。

 そして、夜には38度5分から39度1分の間を彷徨うのである。この繰り返しが水曜日の昼まで続き、昨日の夕方やっと36度5分まで熱が下がった。

 発熱してから鎮静化するまで3泊4日である。

 まったく年を取って高熱を出すものではない。朝方、一旦熱が下がっても午後また上がるのである。ビデオテープでもう一度である。若いときは一旦下がるとまず大丈夫だった。一日で治ったのである。

 ところが、経年によってそれが徐々に複数回になり、つまり、一日では治らなくなり、さらに年を取ると2、3日で治っていたものが4、5日になる。こりゃ、気弱になる。

 ま、しかし、ものごとには必ず終わりがあるので、気弱になるのはやめよう。

 いずれにしても、本日からほぼ日常生活に復帰した。庭の緑がまぶしい。

 なお、なかなか熱が下がらなかったので、火曜日も医者の門を叩いたところ、念のため医師はインフルエンザの検査をしてくれた。

 陰性であった。今は10分で結果が分かるので便利である。

 医師によれば、細菌は熱に弱いので高熱を出すことによって風邪を退治するのだという。ただし、高熱になりすぎると今度はその熱によって人間が死んでしまうので(細菌も死ぬが人間も死ぬ)、その限界の目安の一つが38度5分だそうである。

 だから、8度5分超えは解熱鎮痛薬が必須であるとのことである。

 う~む、人間が熱を出すのはやはり理由があってのことで、いたずらに解熱剤を飲むのは好ましくないことが分かる。

 それにしても、年を取っての高熱はやはりこたえるわぁ。


理学療法士F先生(前篇)

 おいらに一生ついて回る持病は腰痛である。


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 ま、この話しだけで永くなるのでポイントだけ述べる。

 椎間板ヘルニア、世間でいう坐骨神経痛だが、おいらはこの数か月間リハビリにいそしみ、痛みから遠ざかっていたのである。しかし、これが先日再発した。

 ある日、突然、あの痛みが腰を襲ったのである。しかも、歩行は杖がなければ再び困難になったのである。

 理由は不明。

 だが、思い当ることがあった。再発の二日前に予兆があったのである。ところが、おいらにはそれが予兆だと気付かないのだよねぇ。

 何が云いたいのか。喉元過ぎれば熱さを忘れるのが人間である。それに、おいらはこのとき39度の高熱を出していたからそもそも思考がままならない。

 さて、本題に入る。

 あっと、理由が分かったのである。

 風邪で4日間、寝込んでいたからである。その間、おいらの筋肉はほとんど使わなかったので、筋力が一気に衰えたのである。

 そうだと考えると全てつじつまが合う。

 老人が晩年、骨折して寝たきりになった途端、動けなくなるというのはこういうことを云うのだ。

 遡って考えてみれば、今年の3月に椎間板ヘルニアが再発したので、菊名池のそばの某整形外科の門を叩いた。その顛末はこのブログでも述べたとおりで、おいらはこのときから6月末までの約3か月間、リハビリにいそしんだのである。

 このときにおいらに付いてくれた理学療法士の先生がFさんだったのである。

 このF先生の人柄がなんとも云えず、おいらにフィットしたのである。会話の仕方が軽妙で、それでいてツボをついた話しでグサッとこちらに入ってくる。

 発端は、ラミーであった。

「それって、ラミーですよね」

 おいらの胸ポケットにはいつも万年筆が入っている。その日の万年筆はドイツ製のラミーだったのである(この項続く)。


理学療法士F先生(中篇)

 聞けば彼女(F先生)は最近万年筆を購入したとのことで、その候補の一つにラミーがあったというのである。


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 おいらは、文具好きに悪い人はいないと思っている。それは何故だか分からないが(無論、理論的ではない。ボーン・コレクターなどは文具好きの匂いもする)、文具には心をなごませる温かみなどの何かがあるからだと思っている。

 さて、文具好きは文具好きを感知するのだろう。F先生はおいらの文具好きを見抜き、おいらもF先生の文具好きに応えるように文具の会話に花が咲いたのである。

 だって、「それって、ラミーですよね」だよん。これで話しが盛り上がらない訳がない。

 しかし、これはちょっと奇妙な光景である。

 リハビリを受けながら、古今東西の万年筆談義をするのである。普通は腰痛の会話は他愛無いものばかりである。

 だから、他の患者はこの二人は何を好んで文具の話しをしているのだろうと思うに違いない。

 だけど、これが面白いんだよねぇ。

 ところで、腰痛のリハビリの内容だが、まず腰を温めるのが10分。ベッドの上にうつ伏せになって、腰の上に柔らかい帯状の電気アンカを装着する。

 その後、同じく10分間、腰に電気マッサージを受ける。これは、でかい吸盤状のものを腰の周辺に貼り付け、電気信号でのマッサージである。

 その二つが終わると、いよいよF先生による理学療法マッサージである。腰を中心にストレッチし、ほぐすのである。これが心地よい。神経が骨に当たる部分の筋肉を揉んで、そうして、しっかりと鍛えてくれるのである。

 なに、鍛えると云っても最終的にはおいらが自分の足腰を動かす(腹筋、背筋運動)のであるが、あっという間の30分である。

 おいらはこのリハビリを週1~2回、約3か月間通った。リハビリも愉しかったが、F先生との会話もまた愉しみであった。

 そのリハビリも7月の引越しでお仕舞にしてしまった(この項続く)。


理学療法士F先生(後篇)

 だが、本当はこのF先生のリハビリを続けておけば良かったのである。


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 それがあの台風のような引越しのためにリハビリのことはすっかり忘れていたのである。

 同時に椎間板ヘルニアも完治したと錯覚して(喉元過ぎれば何とかである)、今回の4日間寝たきりであっという間の再発である。

 おいらが慌てて理学療法士F先生のリハビリのメニューを再会したというのは、こういう理由からである。

 そして、昨日(17年8月17日)の天声人語である(写真上)。

 それによれば、腰痛は「背骨と太腿の骨をつなぐ大腰筋(「だいようきん」と呼ぶ)が脚力を左右する」というのだそうだ(ただし、筑波大学の久野シン也教授による仮説)。

 え~い、そんなことはどうでもいい。要は腰痛がどうなんだということである。大腰筋を鍛えれば腰痛が治るならそれでいい。

 そこで、おいらは膝を叩いたのである。

 F先生のリハビリは大腰筋を鍛えていたのだ、と気付いたのである。

 う~む、F先生恐るべし。

 だから、今は自宅でF先生から教わった腹筋、背筋の筋トレを一日3回2セットずつ欠かさず励行している。

 お蔭で再び歩行も不自由なく行うことができるようになった。

 F先生に本当に感謝である。F先生、今でも文具を愛でていますか? 患者さんに、あのほっこりとするような会話を投げかけていますか? (この項終り)。


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